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【お知らせ】「人」明日へのストーリー「本番は帰国してから~ドミニカ共和国で学んだ価値観~」[愛媛県]
2022.07.12
平成20年度4次隊/ドミニカ共和国/観光業
桂浦 美紀(愛媛)
ドミニカ共和国から帰国して10年経った今。振り返ると、ライフスタイルも仕事も働き方も随分変化してきたけれど、私のテーマは何一つ変わっていないし、これからもきっと変わらない。10年前にドミニカ共和国で触れたあの「心の豊かさ」をこれからもたくさんの人とシェアしたい。
【天職だと思っていた仕事を退職した日】
新卒、第一志望で入社した旅行会社での仕事は、仕事内容・お給料・福利厚生など全ての環境に恵まれていた。海外旅行課に配属され、たくさんの国をめぐることができ、仕事もとても楽しくて、この仕事は自分の天職だと思い込んでいたほど。
一方で、入社して4年経った頃、休暇の度に世界遺産を巡り、記念写真を撮って、お土産を買って・・・こんな旅行を繰り返していて、その先になにがあるのだろうかと考えるようになった。十分に恵まれた環境でのOL生活、何か大きな不満があるわけではなかったものの、その当時の自分の生活を続けていった延長に、何年か先の自分の未来が想像できなくなっていた。
気軽な気持ちで「世の中には他にどんな仕事があるのだろう」とインターネットで検索しているうちに、JICA青年海外協力隊に観光業という職種があることを知った。観光業には「営業」以外にも「観光開発」という分野があることを見つけて興味を持った。
興味本位で青年海外協力隊に応募し、受験。合格通知を受け取ってからすぐに出国に向けて準備を始めることに。退職して半年後には出国前の訓練を受け、派遣国のドミニカ共和国へ渡り、ドミニカ共和国プエルトプラタ観光省に配属された。そして華々しいOL生活から一転、電気も水も不安定な開発途上国で全く想像のできない2年間の生活と観光開発の活動が始まった。
【ドミニカ共和国へ】
ドミニカ共和国はカリブ海に浮かぶ島国。私の住んでいた街はスペインの植民地時代の名残が強く残っておりビクトリア調のカラフルな街並みがとても美しかった。ホームステイ先の自分の部屋からはカリブ海の青い海が広がり、街中にはいつも陽気なラテン音楽が溢れていた。ビーチや公園では当たりまえのようにドミニカ人が楽しそうに踊っていた。
一方で、道端にはドラッグで使われた注射器が落ちていたり、みんな護身用に銃を持っていたり、日本とはかけ離れた危険な一面もあり、安全面や衛生面には十分に注意を払いながらの生活だった。
ビーチの前にホテルのようにそびえたつ豪邸もあれば、強い雨が降ると飛ばされてしまうようなプレハブの家もあり、想像以上に貧富の差がある国だった。
街に日本人が住むのは私が初めてだったようで、道を歩いているとよく「中国人」と呼ばれ、「日本から来たよ」と伝えても「中国しか知らない」という返事も多く、日本自体の認知度も低かった。
目の前に出されている食べ物が何なのか、一体誰を信用してよいのか、初めて聞く生のスペイン語にも混乱するばかりで、何もわからないまま現地での生活がスタートした。まるで身体だけ大人で、中身は一人では何もできない子どもになったような、そんな感覚だった。
【幸福度ランキング世界2位のドミニカ共和国】
私が派遣されていた当時、世界の幸福度ランキングでドミニカ共和国は2位だった。2年間彼らと一緒に過ごすうちに、物質的には決して豊かではない彼らの優しさや価値観に触れ、その理由を私なりに理解した。
普段生活しているとこんな光景を目にすることがあった。お金持ちの人が貧乏な人を見かけたら、見知らぬ人でも道端でお金をあげていた。さらに驚いたのは、お金をもらった人はお礼も言わず立ち去っていて、そんなことがあるのかと私は不思議でならなかった。なぜ知らない人にお金をあげるのか聞くと「彼女は貧乏だから」と返事が返ってきた。お礼も言わないことに腹がたたないのかをたずねると「彼らは教育を受けていないから、『ありがとう』を知らないだけ」と言っていた。
私が活動で長距離を移動する時は、安全を考慮して赴任先の観光省が運転手付きの車をだしてくれた。お天気も良く移動中に車の中で私がうたた寝をしてしまったことがあり、ふと目が覚めると運転手が車を日陰の涼しい場所で車を停めてじっと待っていた。「ガス欠?」と聞くと「みきが気持ちよさそうに寝ていたから。起こしてしまったらかわいそうだから車止めて目覚めるのを待っていたよ。」と笑顔で応えてくれた。
日々の生活の中で、想像を超える彼らの「やさしさ」や新しい「価値観」に触れ、やさしさは想像力だと思った。彼らの優しさは何かをプレゼントしたり譲ったりする単純なものではなく、人間的で本質的なもの。自分と価値観や意見の違う人に対して攻撃したり嫉妬したりするのではなく、想像力を働かせて心地よくやり過ごす術を知っている、そんな風にも感じた。
「思いやり」「やさしさ」これらの価値観を、私は学校で「道徳」という授業で教科書を開いてテストで答え合わせをしながら学んできたのかもしれない。この国でそれらは学ぶものではなく、日常生活の中に当たり前のように溢れていた。たくさんの価値観にふれる中で「こうあるべき」というものに自分が無意識に縛られて選択してきたことにも気づき、もっとクリエイティブに人生を楽しんでみたいと思えるようになった。
【活動から学んだこと】
青年海外協力隊としての活動は、日本のOL時代のようなマニュアルも、ノルマもない、先生も上司もいない。今まで私たちは幼少の頃から義務教育で「環境」も「教科書」も「宿題」も与えられ続けてきたのだと振り返った。ピアノやダンス、習い事も同じ。お金さえ払えば、目の前の先生が技術を教えてくれる。とても恵まれているようにも感じるけれど、与えられることに慣れてしまい、私はそれしか知らなかった。そして社会人になっても「制服」「マニュアル」「ノルマ」全てが自分で考える前に、欲しいと思う前に、延々と与えられてきていて「受け身」で立っていることが当たり前のようになっていた。
今まで27年生きてきて自分から「能動的」に学んだことが何か一つでもあっただろうかと思い返した。
協力隊の活動はまさにチャレンジだった。OL時代の「営業」という仕事から一旦離れて「開発」という分野で活動をすることになったのも良い機会だった。
観光客の出入りはあるものの、街にあるホテルはほとんど外資系の大型ホテルで、お土産も外国産のものばかり。街は美しい自然や遺跡など観光資源に恵まれているにも関わらず、地元の人たちにお金が回る仕組みになっておらず持続可能な経済モデルになっていないことが課題だった。
何から手をつけていいのかわからず、言葉や生活に慣れることや市場調査に1年かかり、残りの1年で観光地のMAP、バスやタクシーの時刻表や料金表の作成、地元の職人さんたちとお土産品の開発、そのプロモーションなどを行った。自分が誰かに評価されるためではなく、純粋に地元の人たちの魅力を最大限に観光資源として生かすために活動できたことが良い経験になった。
漠然とした課題こそあるものの、ゼロから自分で仕事を創りあげていくことは初めての経験で、時間はかかるし苦労もあったがとても楽しかった。誰かに褒められるために評価されるために選択するのではなく、自分の意志で行動できていた。「こうした方が良い」「こうあるべき」という価値観にとらわれず「これをやりたい」「自分はこう在りたい」という気持ちも含めて、協力隊の活動の中で物事を考えられるようになっていた。
最近こんな言葉に出会った。17世紀のフランス人の文学者、ラ・ロシュフコーの言葉。「私たちはどちらかといえば、幸福になるためよりも、幸福だと人に思わせるために四苦八苦している」日本人はまさにそういう人が多いし、私も以前はそうだった。「自分がこうありたい」ではなく「他人にこう思ってもらいたい」が自分の軸にあった。今振り返ると「他人からどう思われるか、評価されるか」と思っているうちは、自分の価値基準が他人にあることになってしまう。思い込みや先入観を捨てて純粋に自分の価値基準をもって行動していくことで、活動はどんどん広がっていった。
【帰国後】
帰国後、JICA愛媛デスクで国際理解教育に携わる仕事に就いたものの、出産を機に1年半で退職し、今までのキャリアは全てストップすることに。子どもを授かった幸せな気持ちの一方で、社会から取り残されたような虚無感も抱え、今後自分は母親でありながらも、一人の人間としてどんな人生を歩みたいのかを考える時期を迎えていた。ドミニカ共和国の豊かで自由だったあの日々を思い返すだけでなく、自分がここにそんな場所を創ってみようかな、と思う気持ちがあった。
2人目を出産後、ヨガ指導者の資格を習得した。二児の母となり悶々と子育てに奮闘している時期に、「精神的にも経済的にも自立した母親」として家族をサポートしていきたいと思うようになり、新たに始める仕事について考えた時に、組織の中の流れ作業の1コマとして自分の人生の時間を費やすよりも、「私にはこれがある」と自分自身に胸を張って納得できることを生涯の仕事にしたいと思った。
青年海外協力隊として過ごしたドミニカ共和国での生活で私が体感した「精神的な豊かさ」を仕事のテーマに持てることを何より優先した。身体と心の健康や豊かさを考えた時、妊娠中に通っていて身近にあったものがヨガだった。自分自身がヨガをしていると心身ともに健康でいられる実感があり、豊かな時間をたくさんの人とシェアできることが仕事であれば、こんなに魅力的なことはないと思い、期待と不安を胸に新しいチャレンジが始まった。
1歳と3歳の子供を育てながらの新たなスタートだったので、とにかく時間もお金もツテもなく、まずは自宅のリビングでヨガのクラスをスタート。マニュアルもノルマも上司もいない、ヨガの知り合いもコネも何もない中で、自分でHPや名刺を作ってゼロから活動するという環境は、青年海外協力隊で活動していた時とまるで同じだった。限られた環境の中で今自分ができることを手さぐりで試しながら、自分でゼロから生み出す時間を楽しんでいた。
【精神的な健康を学ぶ時代】
初めはゼロだった生徒さんがある日1人になり、またある日2人になり…たくさんの人との出会いの中で、身体の健康と同じくらい、精神的な健康の重要性に気付くようになり「マインドフルネス」という脳科学の分野を学ぶようになった。世界的に見ても、現代は心の健康について悩んだり精神的な問題を抱える人が若い人にも増え、リラックスを学ぶ時代になったとも言われている。一方で、現代人は心肺機能や筋肉をはじめ身体の機能そのものが弱くなってきていて、身体を強くしていく必要性も問われている中「アシュタンガヨガ」という、動きの多いアクティブなヨガも学び始めることに。
更年期に悩む女性、持病を持っている人、スポーツ選手、手さぐりで始めたヨガはさまざまな人たちとの出逢いや自分の経験を通して私の興味と学びを広げ、性別や年齢に関係なくもっと幅広い世代にヨガを届けたいと思うようになっていった。
【念願のスタジオをオープン】
4年間自宅でヨガ教室を開催し、指導を始めて5年目を迎えた時、ついに自分のスタジオを持つことになった。現在、愛媛県東温市にyoga studio COLMADO(ヨガスタジオコルマド)を構え、信頼のできる5名のインストラクターたちと、1カ月に100クラスを超える充実したプログラムを展開し、今年で無事一周年を迎える。
スタジオの名前『コルマド』とはドミニカ共和国のどんな小さな田舎町にでもあるコンビニのようなお店のこと。赤ちゃんからお年寄りまで町の人たちがいつも出入りしている、みんなの居場所のような存在で、楽しい音楽と笑い声で賑わっている場所だった。ヨガを通じて私のスタジオがそんな場所になることを願って。私の挑戦はまだ始まったばかり。
【詳細】
JICAホームページ>JICA四国>「人」明日へのストーリー>本番は帰国してから~ドミニカ共和国で学んだ価値観~(前編)
https://www.jica.go.jp/shikoku/story/148_1.html
JICAホームページ>JICA四国>「人」明日へのストーリー>本番は帰国してから~ドミニカ共和国で学んだ価値観~(後編)
https://www.jica.go.jp/shikoku/story/148_2.html
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