モザンビーク支援活動の経緯と実績
1998年、四国グローバルネットワーク(SGN)【前 えひめグローバルネットワーク(EGN)】は、発足当時、月例勉強会でさまざまなNGOが行う国際協力活動について議論を重ねていました。その中で、「市民主体・市民参加による実践的な平和構築活動」として他に類を見ないモザンビークの「銃を鍬へ」プロジェクトに着目し、こうした草の根活動の「継続」がとても重要だという結論に達しました。そこで、当時、当団体のモットーであった「Think globally and act locally(2002年ヨハネスブルグサミット以後change personallyを追加)」の下に具体的な行動を起こすこととし、1999年、国際協力活動の第一歩を踏み出しました。以来、現在まで継続した支援活動を実施しています。
「銃を鍬へ」+「エコ&ピース」プロジェクト
モザンビークは、1498年、ヴァスコ・ダ・ガマ(ポルトガル人)が、南アフリカの喜望峰を越えて同国に上陸したことがきっかけとなり、16世紀初頭よりポルトガルの植民が始まり、17世紀半ばには完全に支配された国です。
1964年に始まった独立戦争は1974年に停戦、1975年にポルトガルからの独立を果たし、サモラ・マシェル初代大統領が就任しました。しかし、翌年から1992年まで16年にわたり、「モザンビーク解放戦線(FRELIMO=フレリモ)」と「モザンビーク民族抵抗運動(RENAMO=レナモ)」の内戦(実際は冷戦下における資本主義と社会主義の代理戦争)が起こりました。
1992年、アフリカで初めて「子ども兵」を生んだといわれる内戦(=代理戦争)終結後、市民の手に残された武器を市民自らが回収し、平和教育とともに武装解除を進める『銃を鍬(くわ)へ』プロジェクトが開始されました。これは、聖書のイザヤ書『彼らは剣を打ち直して鋤(すき)とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない』という聖句から引用されています。
1995年から始まった回収・交換後の武器の約95%は爆破処理されますが、残り約5%は切断され、現地のアーティストにより平和を訴えるアートに生まれ変わります。また、このプロジェクトの特徴は、キリスト教評議会(CCM: Christian Council of Mozambique)が中心となり、政府・警察・軍隊と協力しながら、市民主体で実施しているところです。始動するにあたり、日本のNGOから銃との交換物資となる放置自転車や足踏みミシンが送られ、松山からも交換に使われる支援物資送ろうとする取り組みが始まりました。
四国グローバルネットワークは、1999年、松山市にNGO/NPOへの放置自転車の無償譲渡を可能となるよう提言し、条例の解釈に含めることが決定されました。その後、2000年に第1回目100台の自転車輸送を実現し、以降、これまでに計7回、660台の自転車をミシンや文房具などと共に輸送しました。しかし、『銃を鍬へ』プロジェクトは、武器回収が大きな目的であるため、回収・破壊処理された武器の数値は把握できますが、交換した自転車がその後どのように活用されているかは調査されていません。
四国グローバルネットワークは、継続して支援を行っているため、社会の変容、生活改善の状況を確認できるよう2006年より「銃を鍬へ」プロジェクトの補完的なサポートをしつつも、「武器ゼロ・ごみゼロの循環型社会づくり」のための新規事業案として「エコ&ピース」プロジェクト実施に向けた調査を行い、モザンビーク国マプト州モアンバ郡マレンガーネ地区を対象とした事業を展開することを決めました。現地NGO登録を行い、小規模ながらも自主事業として活動を展開しています。
現地視察・調査の実施
自転車等の支援物資輸送に合わせて、「物を送るだけの支援」に留めないため、現地を訪問し、武器回収や不発弾等爆破処理の視察、自転車の保管・活用状況の確認を行っています。また、2009年以降は、年7%ほどの安定した経済成長を遂げる首都マプトの暮らし、インフラ整備が遅れている貧困層・村の暮らし、フェアトレード商品の開発による住民自治により緩やかに発展している持続可能な村の暮らしの3箇所を比較しながら視察できるスタディツアー案を企画し、ESD(持続可能な開発のための教育)の考察・理解の一助となるよう位置づけ、会員とともに試験的に実施しています。
学び+実践=ESDの展開
先進国の大量生産・大量消費社会構造が生み出している「放置自転車」という身近な問題と、アフリカ・モザンビークという途上国の「武器回収・平和構築」を「教育」で結び付けた取り組みは、2005年より日本の提唱により開始した国連「持続可能な開発のための教育(ESD)の10年」の一事例として日本国内で広く紹介されるようになりました。松山市とNPOの協働事例であること、小・中学校、高校、大学へとつながる地域に根ざした学び・人材育成であること、市民主体・市民参加による実践的な事例であることで注目されるようになりました。
また、2008年5月、愛媛大学では、モザンビークのゲブザ大統領の愛媛訪問時に同行したアリ教育・文化大臣(2010年より首相)による講演を機に、翌年3月、モザンビークのルリオ大学とESD研究交流が提携され、現在、相互に人的交流、研究交流が始まっています。
ゲブザ大統領一行の愛媛訪問受け入れ実行委員会を発足
2008年5月31日、「第4回アフリカ開発会議(横浜)」を終えたゲブザ大統領と外務協力大臣、教育文化大臣、公共事業・住宅大臣ら閣僚を含むモザンビークの要人33名が愛媛を訪問しました。愛媛県が受け入れる初の国家元首となったゲブザ大統領を迎え、愛媛大学、愛媛新聞社、株式会社愛亀を訪問。四国グローバルネットワークは受け入れ実行委員会を立ち上げて事務局を担い、統括をしました。
研修生招へい、勉強会・研修などを実施
2002年よりモザンビークよりNGOを招へいして勉強会などを開催。また、モザンビークで「エコ&ピース」プロジェクトを推進していく上で必要となる人材を育成するため、国際協力システム(JICS)や郵政事業株式会社の寄付金年賀はがきの助成を得て、研修員延べ6名を受け入れ、農業、縫製等の国内研修を実施しました。詳細は、四国グローバルネットワーク(SGN)に常設している「研修生レポート」をご覧ください。
日本・モザンビーク市民友好協会の設立
2006年、モザンビークとの継続的かつ友好関係を保持するため、「日本・モザンビーク市民友好協会準備会」を発足し、同年10月、正式に設立。これまでモザンビークに放置自転車を輸送してきた久留米市の市民団体、自転車発祥の地である堺市や学生や企業関係者、モザンビーク研究者らがメンバーとなって友好協会を立ち上げ、日本・モザンビークの友好の架け橋を担っています。