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【お知らせ】「人」明日へのストーリー『「教育」が繋いだ、高校生だった自分と協力隊』[香川県]
2024.06.11
2022年度 1次隊
ボツワナ共和国/環境教育
出水 結花さん(香川)
【協力隊応募の背景】
高校2年生の頃、スクールソーシャルワーカーの先生が協力隊OVと聞き、外国に興味のあった私はその先生をよく訪ねるようになった。話を聞くうちに、途上国の発展のためには、「モノやカネ」を与えるのではなく、「教育」が必要であるということが分かってきた。それと同時に、自分も将来協力隊になると公言するようになった。 それから5年後、大学4年生で応募するも結果は不合格だった。社会経験がないことが敗因であった。
地元香川県の高校で教師になって2年目、「教師海外研修」に参加した。エチオピアで10日間、JICAの支援先や協力隊の活動先を見せていただいた。そこには、地域の人々に大切にされる日本人の姿があった。そしてある現地の方が、協力隊の在り方について“Don’t give me a fish, teach me how to fish.”と言った。
つまり、協力隊はモノを与えるのではなく、教育を施してくれているという意味だった。高校生の時に聞いた話を目の当たりにした。エチオピアの小学生と交流の機会もあり、日本の高校生が書いた手紙を持参し、返事を書いてもらった。帰国後その返事を高校生たちに返し、エチオピアや国際理解のための授業を行うと、生徒たちの目が生き生きした。応募の意志が固まった。しかし教員が現職参加するためには3年間の勤務が条件であった(当時の香川県の条件)。しかし担任をしたり、責任ある仕事を担当したりする中で、学校を空けることが難しくなり、気が付くと7年が経ってしまっていた。
【コロナで変わった価値観】
背中を押したのはコロナ禍だった。仕事はもちろん大切だが、いつ何があるか分からない。もっと自分を大切に、悔いのない人生を歩みたいと思い、応募した。「合格」の文字を見たときは喜びと同時に、「自分があの青年海外協力隊になるのか」と大きな責任を感じた。
【夢の協力隊ライフ】
約2ヶ月間の派遣前訓練を経て、ボツワナに到着。飛行機を降り立った時に見た、空港の建物以外何もないほぼ360°に広がる地平線は、24時間のフライトの疲れを吹き飛ばした。約1ヶ月間の現地語学訓練も、見るもの全てが新鮮だった。
しかし任地へ赴任すると、思い描いていた協力隊ライフとはかけ離れた日々を送ることになる。
私の主な要請内容は、主にポイ捨ての防止や3Rs(Reduce, Reuse, Recycle)の啓発活動を小学校や自治体で行うことであった。2年間の活動を計画するために、まず任地の現状把握や活動拠点の選定をしなければならないが、配属先である県庁公衆衛生課の深刻な予算・人手・公用車不足により、私はほとんど事務所の外へ出ることができなかった。毎日始業から定時まで事務所で過ごし、実に3ヶ月以上が経っていた。その頃には精神的にも限界で、このまま日本に帰国することも考えた。
【どん底から一転】
そんなある日、上司へ「小学校へ行きたい」といつものようにお願いすると、いつものように「公用車がないからまた今度ね」と断られた。限界間際だった私はそのまま自分の部屋に戻り泣いた。するとたまたま入ってきた同僚がものすごく心配し、すぐに上司に掛け合ってくれた。その時に気づいたのは、「気持ちは言葉にしないと伝わらない。もっとありのまま自分を表現していいんだ」ということだった。
なんと翌日、上司が自分の車で小学校へ連れて行ってくれた(自車を使うとガソリン代は経費から落ちない)。合計5つの小学校で啓発授業をさせて欲しいとお願いすると、全ての学校から快諾いただいた。昼食も食べずに30分の授業を1日6連続することも珍しくなかったが、ただただ仕事ができる喜びを噛みしめていた。日本で小学生を教えたことはないが、ボツワナの小学生はとても素直で、驚いたり笑ったりのリアクションがとても大きくて可愛らしい。歌を使った授業では大きな声で歌うのはもちろん、ダンスまで踊って楽しんでくれた。ポイ捨ての指導をした直後は実際にポイ捨てが減り、「運動場にゴミ箱がないけどポイ捨てせずに自分のポケットに入れているんだよ」と空のお菓子の袋を見せてくれる生徒もいて、とても嬉しかった。
【また別の問題が】
ボツワナではアポを取っても忘れられ「また明日来て」と言われるのが日常茶飯事だ。翌日行ったとしてもまた同じことが繰り返されるため、一つのことをするのに何日も何週間もかかる。特に私は5つの小学校を回っていたため、次に同じ学校に行くのは一週間後になる。「明日」のことも覚えていないのに「来週」のことなど覚えてくれているはずがない。そこで始めたのが前日にリマインドの電話を入れることだったが、それさえ忘れられることもあった。ボツワナ人にとっての「明日」や「来週」は、日本人の数ヶ月後のような「未来」であり、ボツワナ人が忘れずに行動できるタイミングは「今」しかないのかも、と感じた。そこで何かを頼むときは、「今やりたいんだけど…」という作戦に変えた。日本の学校では考えられないが、この作戦でうまくいったことも意外と多かった。私達協力隊にはタイムリミットがある。その国の文化やスピード感に合わせることは大切だが、どうしてもやりたいことは強行突破も一つの手段かもしれない。
また、ボツワナでは完璧を目指さないこともポイントだった。例えば、各クラス2名ずつ部員を募りエコクラブという部活動を立ち上げた時のこと。一週間前に周知した活動時間になっても生徒が集まらず中々活動ができなかった。先生に周知を頼んでいても必ずと言っていいほど忘れられてしまう。仕方なく活動時間の10分前に全教室を回って周知するも5%の生徒しか集合しなかった。するとある先生から、「それならうちのクラスの生徒を利用すればいいよ」と提案があり、やりたかった活動ができた。全クラスに部員を配置するという「理想の形」はあくまで日本人である私が決めたもの。ボツワナ人の理想や彼らのやりやすい形に、こちらが合わせていかなければと思った。段々と自分の中の妥協点を見つけるようになってからは色々なことが楽になった。
【ボツワナからのお土産】
ボツワナ人たちは明るく、おしゃべりが好きで、外国人である私にも頻繁に話しかけてくれる。調子はどうか、困っていることはないか、家族は元気かと一日に何回も聞かれる。ボツワナ人は、仕事仲間としてではなく個人としての繋がりを大切にしてくれていた。日本の学校は忙しいこともあり、同僚の体調や家族について心配する余裕はない。いつも心に余裕のあるボツワナ人の働き方・生き方は、間違いなく日本に持ち帰りたいもののうちの一つである。
面白い話を聞いた。国民性は住んでいる地理的特徴にも左右されるということだ。ボツワナは広大な自然に恵まれ、日本の50分の1の人口が、日本の1.5倍の広さの土地を享受している。家畜や野生動物が自由に行き来し、人間と共存している。私もそのような自然や野生動物を見に国立公園や禁漁区へよく行ったが、その度に自然の壮大さを思い知った。「小さいことを気にしていても人生つまらないよ。どんと構えて、自分らしく生きればいいよ」と言われているようだった。
【再び「教育」で日本の高校生とボツワナを繋ぐ】
帰国後は元の高校へ戻り、ボツワナでの学びを高校生に伝える準備をしているところである。ボツワナの先生に言われたことがある。「日本人は『アフリカでは皆貧しくて不幸だ』と想像しているかもしれないけど、みんな楽しく幸せに暮らしている』と伝えて欲しい」ということだった。日々を忙しく過ごす日本の高校生たちに、幸せとは何か考えさせたい。
ボツワナで過ごした1年8ヶ月はこれまでの人生で最も濃く、最も自分と向き合った時間だった。たくさん失敗もした。しかしそれはたくさん挑戦したからだ。最後まで実現できなかったこともあるが、自分の限界までやり切ったので後悔はなく、全てが良い経験になったと言える。私の協力隊ライフに関わっていただいたすべての皆様に、Ke a lebogile(ツワナ語でありがとう)!
【詳細】
独立行政法人 国際協力機構ホームページ>日本での取り組み>JICA四国>「教育」が繋いだ、 高校生だった自分と協力隊
https://www.jica.go.jp/domestic/shikoku/story/1541528_36358.html
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四国グローバルネットワークは、令和6年度外務省NGO相談員事業を受託しています。
https://www.sgn.or.jp/ngo/ngo.html
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